悟るとどうなるか |
「悟り」を得る方法は沢山有って、100人居たら100の方法が有るといってもよいほど人それぞれの道が有って、自分でそれを見つけなければなりません。いくら良いお手本(師匠)に出会っても、それをコピーしているだけでは「悟り」は開けません。自分で勉強し、自分で体験をして、宇宙(=自分)の存在の真実を自分で納得しなければならないのです。というとえらい難しいことのように聞こえますが、何か神秘的で秘密めいた修行が必要なのではないのです。ただ、真剣に真実を求めて過去の賢者たちの知恵を学び、真面目に人生を一日一日大切に過ごせばよいのです。そうすれば、いつか「悟り」は向こうからやってきてくれます。それは突然起きることもあるし(頓悟)、徐々に現れる(漸悟)こともあるようです。それはひとによって違います。
さて、そうして「悟り」に達したらどうなるのか?登山にたとえると、「悟り」を開くということはその山の頂上に達することです。どんな山でも頂上に達すれば途端に視野が360度に広がります。全てが一望のもとに見えるようになります。「悟り」でいえば、この世の全ての現象が「分かってしまう」のです。今までに体験したことのないこと、学んだことの無いことでも、その真実の在り方が分かってしまうのです。これはある意味で不思議な体験ですが、真実は一つであることが理解できれば、わけのない当たりまえのことなのです。
さて頂上からの眺めはどんなものでしょうか。それはいうまでも無く「美しい」ものです。どちらを見てもそのままで美しい。人生でいえば、毎日が楽しく幸せを味わうことになります。下界ではいろいろややこしいこと、嫌なこと、醜いことも沢山起きていることでしょうが、そんなことも頂上からみれば、ただただ美しさだけになります。距離があるからでしょう。全体が同時に見えるからでしょう。望遠鏡を持ち出して眺めればたしかに醜いことなど沢山みえてくるでしょうが、それは一つ一つのことに捉われることと同じで、近視眼的に見ることを止めて(トラワレから自由になって)全体が見られるようになれば、下界に戻ってもその美しさを見失うことはなくなります。