哲人統治者を育てるプラトンの教育学 |
プラトンはそんな『国家』の第7巻で、哲人統治者(プラトンの理想国家体制は哲人による統治体制なのです)を育てるための知的教育の方法論を展開しているのです。数学から始まって、幾何学、天文学、音楽理論まで含まれています。これらの学科をどんな人間に(適正な人間でないものを教育してはならない、なぜならそんな人間に国政を任せるわけにはいかないから)、いつ教えるべきか(若いうちが良い)、またその教育方法について論じているのが15章から18章までです。
16章に教育の具体的な方法での注意事項として次の言葉がでてきます[注];「無理に強いられた学習というものは、何ひとつ魂のなかに残りはしない。」
プラトンは教育を大きく二つの面に分けて考えています。肉体の鍛錬と魂の教育です。ここで魂というのは現代風に考えれば「心」とか「精神」とか、更に具体的には「理性」とか「知能」のことを指すと考えてよいのではないでしょうか。このことは上に引用した部分の前に出てくる文章を読んでみると良く分かります;「自由な人間たるべき者は、およそいかなる学科を学ぶにあたっても、奴隷状態において学ぶというようなことは、あってはならないからだ。じじつ、これが身体の苦労なら、たとえ無理に強いられた苦労であっても、なんら身体に悪い影響を与えるようなことはないけれども、しかし魂の場合は、無理に強いられた学習というものは、何ひとつ魂のなかに残りはしないからね。」
肉体の訓練・鍛錬では多少無理強いすることも許されるが、魂の教育では絶対にしてはならない、とプラトンは主張しているのです。
この言葉の後に続く言葉は、現代の教育にもとても有益だと私には思えます;「子供たちを学習させながら育てるにあたって、けっして無理強いを加えることなく、むしろ自由に遊ばせるかたちをとらなければならない。またそうしたほうが、それぞれの子供の素質が何に向いているかを、よりよく見てとることができるだろう。」・・・いかがですか。現役の先生方に学習させながら育てるにあたって、「けっして無理強いを加えることなく、むしろ遊ばせるかたちをとる」はとても良い参考になるのではないでしょうか。机にかじりついている文部科学省の役人にも良い薬になると思いませんか。
[注] プラトンの“Politeia”/藤沢令夫訳・『国家』(下)・第7巻16章P154(岩波文庫)